ONLY ONE YOU
Me realizing once again
It is important not to compare yourself with somebody else.
日本の社会にいると、自然と“他人“と“自分“という言葉に日々惑わされます。
なぜ?
海外にいると、他人という存在は対して大きくなく、一番大きいにが自分なのですが。
島国の特性なのか
とにかく背比べするのが好き
しかも、人間それぞれ育った環境も性格も、バラバラなのに意味不明な方法でみんなを同じ位置につけたがる。
そこで昨日ふと思った言葉が“社会人○年目“という言葉。
そもそも社会人ってざっくり
社会人とは?
社会人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/14 00:24 UTC 版)
社会人(しゃかいじん)は、社会に参加し、その中で自身の役割を担い生きる人のことである。一般的には学生は除外される。 日本語以外の諸外国語では日本で言うところの“社会人”をさす言葉はほとんど見られない。たとえば英語では労働者(worker)や成人(adult)、市民(citizen)という単語はあるが、日本語の”社会人”にあたる単語・表現はないが、最も近い言語では”participant in civil society”。
だそうです。
ないんです。外国語に“社会人“というワードがないんです。
日本独自の表現です。
日本の社会人からよく聞こえてくる言葉が
“いやーもう社会人10年目だからw気づいたら10年たってたよー“
とか
“もう社会人4年目か!それはなんでもできないと恥ずかしいな“
日本特有のみんなを同じラインにしたがる思考がこの“社会人“というワードを作っているのです。
必要ですか?何年目とかで計れますか?人それぞれの人生、能力、才能を社会人何年目という言葉だけで決めつける。
本当に戦うべき相手は自分であって、他人とではないのです。逆に他人と戦ってる暇はないのです。
人生一度きり、日本社会のくだらない秤で“自分“というたったひとりの人間しかいない計りようもないのに。
みんな不安を払拭するために平等を好む
みんな同じくだと安心するから
だから、みんな生まれたときからだれひとり同じじゃないのです!!!
私はこんな日本社会のくだらないルールに縛られて、安定ばかりを求めて、小さなスケールでしか他人を見れない人間になんかなりたくない。
自分は自分にしかなれない
自分が自分を信じないかぎり
他人に期待をしてはいけない
信じるべきは己のみ